約2年ぶりのベトナムです。
ベトナムは縦に長い国土を持つ国で、その形は龍に似ていることから、
「昇り龍の国」とも呼ばれています。
<ベトナムの8つの世界遺産>
@フエの建造物群(文化遺産)、Aホイアンの古い町並み(文化遺産)
Bミーソン聖域(文化遺産)、Cハノイのタンロン皇城の中心区域(文化遺産)
D胡朝の城塞(文化遺産)
Eハロン湾(自然遺産)、Fフォンニャ-ケバン国立公園(自然遺産)
Gチャンアンの景観複合体(複合遺産)
※今回は、ベトナムの世界遺産3連発でした!
タンロン遺跡 → (ダナン) → ミーソン遺跡 → 古都ホイアン
<ミーソン聖域>
ヒンドゥーの神々を祀るチャンパ王国の聖地
1999年、世界文化遺産に登録
四方を山に囲まれたミーソン遺跡は、
チャム族が築いた王朝『チャンパ王国』時代の聖地
ミーソンは、ベトナム語で My Son Ruin 「美しい山」を意味します。
その名の通り、ミーソン聖域は聖山
(サンスクリット語で マハーパルヴァータ(Mahaparvata) )
の南麓に広がっています。
ミーソンは4世紀に、中国の影響を脱しインド文化を取り入れるようになった
チャンパ王国の時の王が、ヒンドゥー教のシヴァ神を祀るために
木造の祠堂を創建したのが始まり。
4世紀頃から創建が始まり、7世紀にはレンガ造りに建て替えられ、
13世紀までの900年間、王が代わるたびに祠堂が建設されました。
祠堂は焼成レンガを接着剤を使わずに積み上げたもので、
アーチ状の屋根にはレンガを少しずつずらしながら迫り出すように積んでいく、
疑似アーチと呼ばれる技法が用いられています。
また、壁面を飾る神々の像などの精緻な装飾彫刻は、建てた後から施されています。
これらの建築技術からも、
当時のチャンパ王国には高度に発達した文化が花開いていたことが窺えます。
※久しぶりにリラックスできました!
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ミーソン遺跡の入口 |
チャンパ王国の滅亡後は
密林の中で忘れ去られていましたが、
19世紀後半にフランス人によって発見。
現存する建物は8〜13世紀頃に
建てられたものです
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グループB :宝物庫(B5) |
儀式で使うための用具や
宝物が保管されていた建物で、
美しくカーブを描いた屋根が特徴的

ヒンドゥー教の女神像の彫刻 |

グループD :短形房(D1) |
ミーソン遺跡は、チャンパ王国の
ヒンドゥー教文化を伝える遺跡
(ヒンドゥー教はシヴァ派)

シヴァ神のレリーフ |

グループG :主祠堂(G1) |
チャンパ遺跡のレンガ造りの建造物は、
モルタルなどの接着剤は一切使わず、
レンガを少しづつずらしながら
積み上げていく迫り出し構造
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グループF :廃墟(F1) |
修復作業中の主祠堂
1960年からはじまったベトナム戦争で、
大な被害を受け、大部分が破損
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遺跡展示館 |
2005年に日本の国際協力機構(JICA)
の協力によって建てられた展示館

いまだ解明されていないチャンパ文字 |

リンガとヨニ |
祠堂はチャム語で、「カラン」と呼ばれ、
中央に、シヴァ神のシンボルである
リンガ(男根)をヨニ(女性器)
と組み合わせて安置するのが一般的
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